はじめに
日本は世界一の農産物純輸入国と言われ、日本の食べ物のほとんどはアメリカをはじめ、様々な国からの輸入に頼っています。
最近ではアメリカから輸入される牛肉の品質や遺伝子組み換え穀物などの問題により、国産の食べ物を選ぶようになっている方が多いようです。
そもそも日本は、いつからこれ程までに輸入に頼るようになったのでしょうか?
また、大昔の日本人はどのような食生活をしていたのでしょうか?
このような疑問を少しでも解決させたいと思い、日本人の食生活の歴史をまとめてみました。
日本の食生活史
縄文時代から2002年までの日本の食生活史をまとめました。
年代 | 起こったこと |
縄文時代 | 狩猟・採取時代後期、大陸より稲作技術の渡来 |
弥生時代 | 農耕時代 |
古墳時代 | 仏教伝来により人々は肉食を避ける傾向 |
奈良時代 | 文献に脚気の記述が見られる。一部の貴族階級は白米常食となる。675年、牛、馬、猿、鳥の食用禁止令がでる |
平安時代 | 貴族の間に脚気流行 |
鎌倉時代 | 各地で飢餓、冷害、疫病の発生。水田二毛作が西日本に普及。 |
江戸時代 | 中期。くわ。千歯こき、千石とおし等の農具普及。元禄頃、江戸、大坂で庶民の間でも白米常食による脚気が流行。 |
明治元年(1868年) | 明治維新政府、米価統制令を発令。東京に初めて牛鍋哉が開業される。 |
明治4年(1871年) | 一般農民に米の販売を許可。 |
明治5年(1872年) | 明治天皇、肉食推奨のためはじめて牛肉を食べる。この頃から多くの著者が洋食を紹介し、洋食の効用をとくようになる。文部省が肉食と牛乳飲用普及のため、近藤芳樹に”屠殺考”牛乳考”を執筆させ食事の迷信打破に努める。僧呂の肉食、妻帯、蓄髪が自由になる |
明治6年(1873年) | 東京中で牛乳搾乳のために牧畜を許可。この頃の牛の屠殺数、東京で一日14.5頭、横浜では一日90頭。 |
明治7年(1874年) | この頃、肉食の効能が新聞、雑誌に盛んに説かれる。 |
明治10年(1877年) | 西南戦争で脚気患者多数発生。東京のパン屋約10軒、大阪にパン屋誕生。 |
明治11年(1878年) | 東京神田神保町に脚気病院開設。白米常食が定着した都市部、軍隊内で脚気増加。死亡率10%を超える。 |
明治13年(1880年) | 官営製粉工場の払い下げにより、日本製粉会社設立。 |
明治16年(1883年) | 海軍が脚気患者の急増により麦飯を採用。東京のパン屋16軒。 |
明治18年(1875年) | 海軍、脚気対策としてパン、麦飯を採用。 |
明治19年(1886年) | 陸軍医森林太郎(森鴎外)「日本兵食論大意」を出版。麦飯、パン食より米食を推奨。田原良純ら、各種の食物栄養価調査を行い、翌年、日本初の食品成分表として発表。 |
明治21年(1888年) | 森鴎外、ドイツ医学留学から帰国、脚気対策に腐心。乳幼児の人工栄養が次第に普及。新聞などに牛乳と母乳の比較記事が多くなる。牛の屠殺数が10万を超える。 |
明治22年(1873年) | 山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で日本初の学校給食。 |
明治25年(1892年) | 東大教授隅川宗雄、肉食論を批判し自ら低タンパク、低脂肪をとりタンパク質40G以下で十分と説く。 |
明治26年(1893年) | 東京米殻取引所営業開始。 |
明治27年(1894年) | 日清戦争で脚気患者多数発生。脚気病死者4064人。西洋料理店の客足減少で廃業続出。 |
明治31年(1898年) | 東京市民の肉の消費量、一日一人あたり約8.5g、牛乳の消費量約8ml。 |
明治32年(1899年) | 米の消費量増大。精米器が発達し、精米に使う石灰が有害なため、無砂白米を売り出す。乳牛の飼育頭数が2万頭になる。 |
明治37年(1904年) | 日露戦争で脚気患者25万人。大根から「ジャスターゼ」発見。 |
明治41年(1908年) | 味の素が発表される。(当初の生産量、月産700〜1000キロ) |
明治42年(1909年) | 陸軍、森鴎外を会長とし、脚気対策調査会を設立。 |
明治43年(1910年) | 村井玄斎夫人、脚気炒り糠入り味噌の常食が効用ありと説く。 |
大正元年 | 東大教授本多静六、パン食を勧め、米価勝貴を調整する。牛乳の消費量が5万トンを超える。豚の飼育頭数初めて30万頭を超える。稲の作付面積300万ヘクタールを超える。 |
大正3年(1914年) | 玄米食が推奨される。佐伯矩 、私費で私立栄養研究所を設立。(佐珀は7分づき米を推奨。) |
大正9年 (1920年) | 栄養研究所官制公布され、佐伯矩初代所長となる。 |
大正12年(1923年) | 脚気死亡者数26796人、このうち乳幼児1373人、人口10万人に対して死亡率46人。この年をピークに次第に脚気の死亡者数が減少。 |
昭和元年 | 佐伯栄養学校第一期生卒業。栄養士の草分けとして官庁、病院、事務所などで活躍。玄米パンが流行る。 |
昭和2年(1927年) | 島薗順次郎、胚芽米の試食会を開く。 |
昭和3年(1928年) | 陸軍、胚芽米を採用。 |
昭和6年(1931年) | 二木謙三、玄米普及食堂を開き、その講習会を行う。 |
昭和7年(1931年) | 農林省、小麦増殖推奨規則を公布。五年間で300万石の増産を計画。島薗順次郎、脚気の人体実験を行い、ビタミンB1の効果を確認。 |
昭和8年(1932年) | この年、胚芽米論争が最も激しくなる。香川綾、栄養知識の普及を目的とした家庭食用研究会を開設。 |
昭和12年(1937年) | 西式健康法の創始者西勝造「朝食有害論」を説く。 |
昭和12年(1937年) | 警視庁令により東京で混砂米禁止される。佐伯矩、米の精白度検定法を発表。ビタミンの合成に成功。 |
昭和14年(1939年) | 米穀搗精等制限令が発令。白米は禁止となり法定米は7分つき米となる。 |
昭和15年(1940年) | 食糧報告連盟「国民食栄養基準」を発表。節米強化でパン食よりも大麦の粒炊きが主食となる。 |
昭和16年(1941年) | 佐伯矩、栄養報告連合会長となる。米屋の自由営業を廃止。文部省、学校給食推奨規定を定め、貧困児童、栄養不良児の栄養補給目的から学校給食を開始。 |
昭和17年(1941年) | 大政翼賛会「玄米食に復帰せしめる件」発表。政府玄米食の普及運動実施。佐伯矩、大豆中にビタミンCを発生させる方法を発見し技術院賞を受賞。 |
昭和19年(1944年) | 六大都市の国民学校給食、パン食のみとなる。 |
昭和20年(1945年) | 8月終戦。9月GHQ公衆衛生対策に関する覚書を出す。10月、政府、GHQに食糧35万トン輸入を要望。 |
昭和21年(1946年) | アンラのフーバー来日、GHQに学校給食進言。 |
昭和22年(1947年) | 11月パン食普及のため、ベーキングパウダー200gを配給。12月児童福祉法、食品衛生法、栄養士法規定。 米穀搗精等制限令廃止。 |
昭和25年(1950年) | 5月米意外にパン等の自由販売。6月八大都市に学校給食の道開く。12月「タンパク質をとりましょう」「ビタミンをとりましょう」運動。 |
昭和26年(1951年) | 2月八大都市以外の市制地域の学校給食開始。 |
昭和29年(1954年) | 1月強化米の希望配給開始。3月農林省、余剰農産物購入協定を調印。アメリカから小麦50トン、大麦10万トンの買い付けを開始。MSA協定に基づく総額5000万ドルのアメリカ余剰農産物の購入。6月学校給食法制定。10月佐伯矩 、保健文化賞を受賞。 |
昭和30年(1955年) | 8月第一次余剰農産物協定を調印。11月米の希望配給制度実施。粉食運動に全栄養士参加。電気釜が発売される。森永ヒ素ミルク事件起こる。 |
昭和31年(1956年) | 2月二次余剰農産物協定を調印。3月学校給食法を改正。給食を中学校に拡大。10月米の配給量一人一日360gとなる。キッチンカー活動開始。コーラが発売。三種の神器(テレビ、冷蔵庫。洗濯機)の家電ブームが起こる。 |
昭和32年(1957年) | 6月栄養改善法による強化パンの厚生省許可100件を突破。9月初のパン祭りが東京で行われる。 |
昭和33年(1957年) | 10月国民栄養調査で4人に一人は栄養欠如と発表。秋にインスタントラーメン登場、食品メーカー、チキンラーメンを発売。 |
昭和35年(1960年) | 8月東京でパン工場の大型化が進む。10月カナダ政府小麦局、東京事務所を開設。アメリカ/カナダの小麦売り込み激化。本年産米1286万トン、史上最高を記録。 |
昭和36年(1961年) | 7月大豆の輸入自由化。 |
昭和37年(1962年) | 5月学校給食用小麦にビタミンA添加とB1増量を決定。 |
昭和38年(1963年) | 1月政府、砂糖の輸入自由化方針を決定。 |
昭和39年(1964年) | 10月東京オリンピック開催。ビタミン剤ブームが起こる。 |
昭和42年(1967年) | 日本調理師会設立。 |
昭和43年(1968年) | 学校給食に米飯が認められる。 |
昭和46年(1971年) | グレープフルーツ・七品目の輸入自由化。 |
昭和47年(1972年) | ハム、ベーコンなどの輸入自由化。 |
昭和51年(1976年) | 学校給食制度に米飯が正式に導入される。LL(ロングライフ)牛乳発売。 |
昭和53年(1978年) | 農林省を農林水産省と改称。 |
昭和54年(1979年) | 外食産業成長。 |
昭和56年(1981年) | 厚生省「過食時代の栄養失調の子供増加傾向」と警告。思春期以降のアトピーが急増。 |
昭和60年(1985年) | 厚生省、文部省、農林水産省共同作成の食生活方針で一日30品目を提唱。 |
平成5年(1993年) | 冷害で米不作、タイ米、カリフォルニア米輸入。 |
平成9年(1997年) | 厚生省、糖尿病実態調査で患者数は予備軍を含めて1370万人と発表。 |
平成10年(1998年) | 病原性大腸菌Oー157による食中速発生。 |
平成11年(1998年) | クローン牛日本でも誕生。シックハウス症候群等による化学物質過敏症社会問題化。ダニ、トルエンなどで子供のぜんそく増加。 |
平成12年(2000年) | 遺伝子組み換えトウモロコシ(スターリンク)、食品混入が発覚。雪印乳業低脂肪乳で食中毒。 |
平成13年(2001年) | BSE(狂牛病)発症の牛、発見される。 |
平成14年(2002年) | 雪印乳業による牛肉偽装事件が起こる。BSEにからむ日本ハムの牛肉詰め替え事件発覚。食品の不正表示、相次ぎ発覚し社会問題化。 |
まとめ
昭和30年代から50年代にかけて小麦をはじめ、輸入食品が増えてきたようです。
この時期からガンをはじめとする、慢性病が急増したというのはもちろん偶然、、ですよね。。
参考文献 :
posted with カエレバ
鈴木 猛夫 藤原書店 2003-02